魂の眠る場所(前編)

序章

「どうしたんだ?」

右手を見つめながら田代香織は呟いた。右の拳に青白い光を田代は常に纏っている。普段はボヤーっとした輝きの光の揺らめきが、今は激しい。

戦場では一瞬でも気を抜く事は許されない。しかし、連日の戦闘も手伝って集中力を持続させるには限界があった。多少の気の緩みは仕方のない事であろう。

特に今回の戦場は、いつもとは違う。幻獣発生予定時間を三時間は過ぎようとしていた。

五一二一小隊に出撃要請が発令されたのは一四時であった。発生予定ポイントまでは約一時間。一五時には現地に到着してスタンバイをしていたが時は既に一八時半を過ぎようとしていた。

人の集中力は長くはもたない。特に三月といってもウォードレスに身を包む彼等と彼女等には暑さも敵となってしまう。

「瀬戸口くん、反応は?。ののみちゃんは、速水くん達の状況報告をしてちょうだい。」

本来、整備主任であるはずの原素子は胸元で腕を組ながら右手の親指の爪を噛んでいる。

視線は指揮車に設置されている前面パネルを見つめたまま、原は心の中で呟く。

(善行やってくれたわね。)

瀬戸口隆之と東原ののみからの報告は、耳には届いていないようであった。

今回の作戦には、五一二一小隊の司令である善行忠孝は不在。理由はわからないが指揮車に司令代行として搭乗する事になったのは原である。

(準竜師ともども帰ったら)

原の口元の両端が少しだけあがる。同時に暑いはずの指揮車の室温が二度は下がった。気のせいだと、瀬戸口は思い込もうとした。ののみが二回目の報告の言葉を出せなくなっていたのは仕方のない事だろう。

「原司令代行。幻獣の反応はなし。壬生屋、滝川、速水、芝村の四名は全員ともに心拍数、血圧、意識レベルともに正常です。」

瀬戸口は、ののみに軽くウインクしながら大きめな声で報告をした。

黙ったままではあったが、ののみには笑顔が戻ってきていた。しかし、原は少々、大きめな音量の報告に顔を歪める。

「わかったわ。だけど、瀬戸口くん。そんなに大きな声をださなくても聞こえているから。作戦終了後に整備ハンガーにくるようにね。返事は?」

原の顔は笑顔であったが瀬戸口の顔は完全に青ざめていた。

「了解。」

と、小声で言うのが精一杯であった。幻獣より恐いと思った事は、心の中だけにしたのは賢明であろう。

「全機を補給車に戻らせて。若宮くんと来須くんは現状維持。よろし?」

瀬戸口とののみは手馴れた手付きで通信回線を開いて全員に連絡をとりはじめる。

気まずい雰囲気は一旦、打ち消される事となった。



「壬生屋はわかるが、滝川の集中力はどういう事だ。」

士魂号三番機のコックピット内に芝村舞の疑問の声が響く。

実際はコックピット内には響いてはいないのだが、パイロットと士魂号は神経接続されるために複座型である二人の声は響くと表現する方が早い。複座型は操縦系を担当するパイロットと電子情報を制御するオペレータの二人で操作される。オペレータはパイロットより後方のシートに座る為にパイロットである速水厚志は舞の声を後ろから聞く事となった。

「滝川も実戦を重ねてきたからじゃないかな。」

ゆっくりとした口調で舞の疑問に答える速水に、舞は納得はしていないようであったが、瀬戸口からの通信が入った為に追求を止めるしかなかった。速水は心のなかで呟いた。

(本当の事をいったら舞は怒り出してしまうよ。)

思う時に神経接続を一瞬だけ切断して元にもどすのは速水だからできる技術だろう。

的確な情報解析により周囲に幻獣が存在しないのを確認すると、舞は他の二機の士魂号に通信を入れる。

「周囲に幻獣の存在は認められない。今の陣形から後退陣形へ移行し、移動を開始する。壬生屋に滝川、準備はよいか?」

「後退を開始いたします。」

士魂号単座型に搭乗している壬生屋未央からの疲れを感じさせない素早い通信が舞に入る。

トライアングルの陣形で待機していた三体の士魂号は幻獣出現予定ポイント側に向かって頂点を一番機、その後方一キロメートルに二番機と三番機が位置していていた。

壬生屋の搭乗する一番機は単座型でも軽装タイプであった。不器用な壬生屋は銃火器の使用を好まず、超硬度大太刀を使用した接近戦を得意とする。軽い方が動きが早くなる為に敢えて装甲を犠牲にしている。壬生屋の剣の戦闘には賛否両論はあるが、速水にも劣らないほどの剣さばきである。この事で戦闘が有利に進んできた事実も壬生屋の自信につながっている。フロントの役割は壬生屋以外には現時点では考えられないだろう。整備員からの愚痴の嵐については触れないでおこう。

壬生屋の後退開始を確認すると、速水は三番機の方向を一八〇度回転させた。重いはずの複座型が滑らかに方向を変えて補給車へ移動をはじめる。速水の操縦の仕方に満足な笑みを投げかけると、舞は右側に位置している二番機を見た。

動作を開始しない二番機は壬生屋の到着を待っている状態であった。いつ、幻獣が現れるかわからない状況での後退には細心の注意を払う必要があったからだ。

動作の遅い複座型を先頭にして一番機と二番機が平行に並んだトライアングルの陣形を形成しての後退となる。

最も危ないのは陣形の変更途中である事は誰もが理解していた。その為に陣形が完成するまでは二番機の緊急の援護体制が重要な役割を持つ事となる。

「ようちゃん、ようちゃん!。返事しないと、めーなのよ!。」

ののみの声が指揮車内に響く。必死に呼びかける声は既に何回目かは分からない。しかし、二番機のパイロットである滝川陽平からの返事はなかった。瀬戸口は恐る恐る、原を見つめた。黙ったままの原であったが、その姿が纏っている冷気から瀬戸口は目をそらせて祈るしかなかった。

(早く起きろ、馬鹿。)

二番機のコックピット内には、ののみの声が絶え間なく響く。しかし、滝川には声は届いてはいなかった。

指揮車にいる瀬戸口には、心拍数などからの情報で寝ている事はあきらかに分かっていた。

原も座席の前面に設置されている簡易情報パネルを見ているのだから、分かるといえば分かるはずである。

しかし、今は黙ったままなのが余計に怖い。原の右横に座る、指揮車運転手兼事務官である加藤祭はすでに硬直しており、喉元を流れる冷や汗が止まらない。

 

戦闘中に眠る事は通常では考えられない事である。士魂号への神経接続時にグリフをみる事はあっても実際に寝る事は死に直結する。しかし、滝川には待機時間の長期化が耐え切れなかったのである。ヘッドセットを外して仮眠を取る滝川。

滝川は幼少時代のトラウマの為に閉所恐怖症を患っていた。これを克服するのには多大な労力をはらった。戦車技能を取得する際には何度となく倒れて、整備員詰所に運ばれる毎日。狭いコックピット内は滝川には恐怖の何物でもなかった。強烈なトラウマは最悪の場合は記憶の改竄が行われる場合があり、この状態が長く続けば仲間の事も忘れてしまうだろう。

神経接続してしまえば全面視界となるから閉所では通常なくなるのだが、滝川にはグリフを克服する事ができなかった。

グリフはパイロットによって様々であるが、滝川の場合はトラウマが酷すぎる為にグリフの内容は幼少時代の事柄であった。

「今日もここに閉じこもっていなさい。」

グリフの開始はいつも、この台詞であった。父親を戦争で亡くして以来、気のふれた母親に部屋の押入れに閉じ込められる毎日。

閉じ込められる前には必ずといって酷い虐待を受けていた。身体に無数の傷があるのはその為だ。額につけているゴーグルは大きな傷を隠す為でもあり、トレードマークでもあった。

滝川自身にも克服する目処が分からずにいたが、パイロットになる夢を諦めるわけにはいかなかったからトレードマークにしていたのである。

滝川は、いつもは元気にしており周りには陽気な仲間だと思われていたが、さすがに毎日のように倒れていては、呆れてくるものがいた。二番機の整備員は三人が担当していたが、その中の一人である新井木勇美であった。

「バカゴーグル」

と言って、毎日のように喧嘩をしていた事も理由であるが、滝川が撒き散らした胃の中の物を処理する事に嫌気がさしていた。技能取得もパイロットの夢も諦めろと言った事も確かな事実であった。

同じく二番機整備員の田辺真紀に関しては家計を助ける為のバイトがあった為に、仕事以外の付き合いには体力的にも時間的にも限度があった。

そんな中で焦る滝川を理解してくれたのは森精華だった。森は三番機の整備員であったが、最後の二番機の整備員でもあり、弟にあたる茜大介と夜遅くまで訓練に付き合う。

森は、滝川の閉所恐怖症の理由を、衛生官である石津萌から聞いていた事もあったが同情ではない。相談を受けた時は普通なら話かけてこない萌の行動にも驚いていた。同情は何も生む事はない。同情するなら少しでも相手の為になる事を全力でやるだけだ。

エースパイロットを目指す滝川に全力で協力する事。

過去にエースパイロットを失った悲しみを二度と味わいたくない。そんな思いが森を動かしていた。森も自覚はないがトラウマを持つ一人であった。戦争は大きな心の痛みを与えるだけなのかもしれない。

そんな仲間たちの協力のおかげで滝川はグリフを乗り越えた。しかし、完全な克服ではなかった。

森、萌など一部のものは知っていたが、コックピットに耐えきれなくなると、仮眠をする事にしてパニックを抑えるようにしていた。

今回は待機時間が長すぎた為に、滝川は自分を守る為にヘッドセットを外し仮眠状態になる。

ただし、いつもと違うのは、ののみの声で目を覚ませなかった事であった。

滝川は夢の中で戦いを開始する事になっていた。



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